社会から離れてみて感じたこと
こんにちは!ぼんちゃんです。
今回は、社会から離れてみて感じたことを書いてみます。
属するコミュニティがなくなった
私は今年の3月に大学を卒業しました。
就職はしないと決めていました。
3〜4月にかけては心の調子を崩したりすることが多く、バイトもせず。
人にもあまり会いたくないので、ほとんど引きこもり。
2年前から精神疾患の治療をしており、引きこもった経験は初めてではありませんでしたが、その頃はまだ大学生。
休学しているとは言え、自分が存在している社会はありました。
しかし、2ヶ月前のほぼ引きこもりは、本当に社会から隔絶されたような状態。
唯一、実家暮らしなので、「家族」というコミュニティ・社会・世界はありました。
初期症状
ここからは、引きこもりの各時期による症状を書いていきます。
ほぼ引きこもりになって、最初のうちは、「もう人と会いたくない」という気持ちが強かったです。
人と会うということは、刺激を受けるということです。自分の心が、揺さぶられます。そんな刺激に耐えられない状態になっていたのかなーと思います。
そんなこんなで、ドタキャンとかも多くて、すみませんでしたm(_ _)m
中期症状
暫くすると、引きこもり万歳!!状態になりました。
誰にも迷惑をかけず(親にはかけてますけどね)、一人で時間を気ままに過ごし、先の決まった予定もなく、自由に生きる。
ずーっとこんな状態が続けばいい、と思いました。
毎日見たいドラマを見たり、読みたい小説を読んだり、楽器を触ったり、それはそれで幸せでした。
末期(?)症状
末期症状って表現は何か違う気がするのですが笑、つまり、引きこもり解消に至る直前期のこと。
中期には、幸せだな〜と感じていた私ですが、一人で自由に生きる毎日を過ごしていたら、ふと、「あれ、私このまま誰とも関わらずに死ぬのかな」と思ったのです。
暫くの期間、社会から離れてみて、結果感じたのは、人からの刺激が何もないと、とてもつまらないということでした。
先ほども書きましたが、人と会うということは、刺激を受けるということ。
刺激を受けることは、怖くもあります。
自分の弱さを認めなければならない瞬間もあります。
でも、そんな瞬間があって、刺激をもらって、自分も変わっていく。
もしかしたら、相手も私から刺激を受けて、変わっていく。
だからこそ、楽しいんだ。
そこに、楽しさや喜びがあるんだ。
そんなことを感じました。
当たり前にあった「社会」
気付けば、2歳で音楽教室に通い始めてからというものの、というよりこの世に生まれて家族という社会に割り振られてからというものの、23歳に至る今まで、ずっと何かしらの社会やコミュニティに属していました。
物心つく前から、社会で生きることは私にとって当たり前になっていました。
でも、暫くの期間、休養も兼ねながら引きこもってみて。
そんな社会のありがたみを感じました。
まさに、経験してみたからこそ分かったこと。
最近は、欠勤も多いですがバイトをしながら、自分のやりたいことのために少しずーつ、動き始めています。
どんな社会であっても、何かしら得られること・学ぶことはあるはず。
自分が存在できる社会やコミュニティを大切にしながら、人と関わりあって生きていきたいです。
まあ、疲れた時には、たまには社会から離れてみてもいいかな、とも思いましたけどね。笑
その時は、その時で。笑